麗らかな春の陽射しが射しこむ白亜の城。
姦しい小鳥の合唱に煽られながら、簡素な黒いドレスにエプロン(メイド服)をまとった女性達が忙しく動き回っていた。「今日の掃除当番は、私の班――」
「洗濯物はうち――」 「こっちは今からお昼の準備だよ。大変だ――」全員、城詰めの侍従(侍女)だった。彼女達の仕事は、午前中が最も過酷だった。それでも、余計なことを喋っている余裕はあった。
外から聞こえる小鳥達との鳴き声と相まって、和やかな雰囲気を醸し出していた。その光景を目にすれば、自然と笑みが零れる。 しかし、笑っていられたのは、侍女達の姿を遠目に眺めていたときまで。近くに寄って見てみると、彼女達の頭から「奇妙なもの」が生えているのに気付く。 侍女達の額、左右の蟀谷辺りから、それぞれ「大人の指ほどもある突起物」が生えていた。有体に言えば、それは「角」だ。
それぞれ形や大きさは違えども、共通して先端部分が「真っ赤」に染まっていた。しかも、金属のような光沢があった。
実際、先端部分は金属並みに硬質化している。侍女達から頭突きを食らえば、痛いでは済まない。頭に凶器を持つ侍女、「鬼メイド」と呼ぶべきか。
しかしながら、頭部以外は至って普通の少女達。「只の城詰めのメイド」として、忙しいながらも、毎日楽しく過ごしていた。 侍女達の誰しもが、「これからも、きっと楽しい日々が続く」と想像して、それを信じていた。 しかし、今日、この瞬間(午前十時半頃)、侍女達の日常は破壊された。(((駄目っ、ダメダメ駄目ですぅっ!!)))
「「「「「!?」」」」」突然、城の奥から「女性の絶叫」が轟いた。それを聞いた侍女達の顔から笑みが消えた。
「何?」「今の?」
互いに顔を見合わせて、一斉に首を傾げた。その間も、城の奥から女性の声が轟き続けていた。
(((嫌っ、駄目っ、ダメええええっ!!)))
「「「「「!!」」」」」 (((これ以上は、無理です、駄目ですっ!!))) 「「「「「――――っ!?」」」」」声が聞こえる度、侍女達の顔から色が失われた。
「一体――」「何が起こっているの?」
侍女達は様子を探ろうと耳を澄ませた。
すると、少女の声に混じって「男性のもの」と思しき低音の美声が聞こえてきた。(((大丈夫だ。もう少し――)))
年若い男性の声。それも、聞き惚れるほどの美声だった。しかし、どうやら性根の方は捻じ曲がっているようだ。
(((駄目ですっ)))
(((何が駄目なものか。未だまだ――))) (((あっ、あっ、ああああああっ!!))) 「「「「「…………」」」」」謎の男女の会話。それを聞く侍女達の顔に、恐怖と「嫌悪感」が滲み出ていた。
もしかして、ろくでもない男が女の子をイジメているのでは?
侍女達の脳内に、「女性的には最悪」と言える可能性が次々閃いた。それは杞憂であって欲しかった。
ところが、謎の男女の会話は「侍女達の最悪」を全力で保証した。それどころか、より混沌さを増した斜め上の方向に突き抜けてしまった。(((私の、私の、私の――)))
(((『私の』――何だ?」)) (((『ティンティン』ですっ、私のティンティンが、どうにかなっちゃうっ!!)))大絶叫。それこそ「魔物の咆哮」と錯覚するほどの轟音が、侍女達の鼓膜を劈いた。
その瞬間、侍女達は一様に「奇妙な行動」を取った。
それぞれ両手を頭に掲げて、蟀谷辺りから生えた「角」を隠した。何故、そのような行動を取ったのか? その答えは「角の名称」に有った。
この国、「ティン王国」では角のことを「ティン」と呼ぶ。女性の場合は「二本」生えている為、ティンとは別に「ティンティン」という別称が有った。さて、この地球上に角のことを「ティン」、或いは「ティンティン」と呼称する国が有るだろうか? それを問われたならば、「無い」と答えるだろう。多分、無い。
少なくとも、角の生えた人間が住む「ティン王国」という国は無い。 そう、ここは異世界だった。いや、地球と同じ世界に有る――「異星」だった。星の名を「マサクーン」という。地球から遠く離れた場所、M111星雲に浮かぶ「元・地球人の創造神」が創りし惑星だ。
マサクーンという名前は、実は神が人間だった頃の本名から捩っている。 創造神が地球出身の為、マサクーンにも同じ(或いは『似た』)要素が幾つか有った。 しかし、「全く地球そっくりなのか?」と問われると、首が斜めに傾くだろう。そもそも、世界創造のコンセプトが「俺流ファンタジー世界」なのだ。地球とは似て非なることの方が多かった。
一応、主要民族は「人間種」といえる。しかし、「ファンタジー世界」である為、中には角が生えている者とか、耳が長過ぎる者とか、背中に羽の生えた掌サイズの者とか、獣の顔をしている者――と、所謂「亜人種」が含まれていた。その事実だけで、お釣りがくるほど地球と異なっている。
しかし、そこはファンタジー世界。
定番の設定、「魔法」や「超能力」と言った、物理法則を無視し、捻じ曲げ、卓袱台返しをかますような異能力も完備していた。 それらの力は余りに便利であった。その為、マサクーンでは科学が全く発展せず、その文明のレベルは(創造神の目論見通り)「地球の中世」辺りで停滞していた。 それらの事実を鑑みると、角が生えていたり、それを「ティン」或いは「ティンティン」と呼んでいたりすることなど「些事」、或いは「普通」と断言しても良いだろう。 そんな普通の国、ティン王国は今、滅亡の危機を迎える――かもしれない。その切っ掛けになりそうな事件が、王城内最奥、ティン王国第一王子、「デッカ・ティン」の執務室で起こっていた。亡国の引き金となりそうな事件が発生したのは、現在から遡ること三十分ほど前、時計の針が丁度「午前十時」を指した頃のこと。
このとき、デッカは一人ぼっちで執務室に籠っていた。デッカの執務室は、王城深奥に位置しながら窓から陽光が入っていた。その為、とても明るかった。
デッカは、部屋の窓際中央部に配置された豪奢な執務机の席に座っていた。その机上に積まれた「紙束が詰まった分厚いファイル」を読み漁りながら、「むむむむむ」
唸っていた。
貴公子然とした美男子が、紙束の山と睨めっこしている。その現場に居合わせたならば、殆どの者の首が斜めに傾いた。 しかし、傾いた首は、一瞬で元に戻った。デッカを見た者は、総じて、いや、敢えて「すべからく(そうすべき)」と表現しよう、直ぐに「別のこと」に意識を奪われた。別のこと。それは、デッカの額に聳える角――「ティン」だ。
ティン王国の主要民族である「ティン族」には、先述の通り角が生えている。
男女とも、「上向きに反り返っている」と言う大まかな形状をしていた。しかし、明らかに異なる点が大きく「二つ」有った。女性の場合、蟀谷辺りから一本ずつ。
男性の場合、額のど真ん中から一本。 ティンの先端部分に関しても、女性が「赤」であるのに対して、男性は「黒」く染まっていた。一般的なティンの特徴は、デッカのものにも備わっていた。しかし、それでも、彼のものには「異常」と言わざるを得ない特徴が有った。
デッカのティンは、余りに大きかった。それを見た者に「頭から大人の腕が生えている」と錯覚させるほどに。
ティン族の者であろうと、いや、ティン族ならば、「デカい」と言いながら唸っている。
実際、デッカのティンは「ティン族史上最大」だった。 そもそも、デッカが生まれるまでは、ティンの最大サイズを評した言葉は、「大人の手」だったのだから。 最早、「異次元」と言わざるを得ない大きさ、デカさだった。ティン族でなくとも視線が吸い寄せられる。そんな規格外にデカいティンを持つ貴公子が、書物と睨めっこしていた。
デッカが「内容を読もう」と顔を近付けると、硬質化したティンの先端部分が紙面に突き刺さった。ああ、やってしまった。
デッカは溜息を堪えながら、それでも書物と睨めっこを続けていた。その様子は、他者の目には「奇行」と映っただろう。
しかし、デッカ本人は至って大真面目だった。その端正な顔を気難しげに歪めながら、王領(国王の直轄地)の「経済状況」に付いて考えていた。ここ数年、王領の人口は増えている。それなのに、税収、税収率が下がっている。何故なのか?
王領税務課の資料を見ると、税収に関する項目、その数値が軒並み減少していた。
封建制度下に有って、「王領の税収が芳しくない」と言う事実は、他領土を支配する上級貴族達の不信感を煽りかねない。中には良からぬ二心を抱く者も出るかもしれない。その可能性を想像する者は、デッカに限った話ではない――と、デッカ本人は思った。ところが、王領の税務課も、王領の最高責任者であるデッカの父、第十六代ティン王国国王「ムケイ・ティン」も、誰も解決を図ろうとはしていなかった。
何故、誰も何も言わないのか?
税収に関する問題に付いて考えるほど、デッカの首は斜めに傾いだ。傾き続けて、終に机上に積まれた資料の山と殆ど平行になっていた。これ以上傾けば首が外れていただろう。
しかし、「そうはさせじ」とばかりに、予想外の救助隊(デッカにとっては邪魔者)がやってきた。デッカの首が外れかけたその瞬間、執務室のドアから「トトトト」と小気味良い打音が響き渡った。その音は、「上下」に向いたデッカの耳にも届いていた。
「何方かな?」
デッカは首を元に戻しながら、即応で返事をした。すると、ドアの向こうから重低音の美声が響き渡った。
「『ケイン・モータル』でございます」
ケイン・モータル。彼は王領に居を構える貴族であり、王城内の侍従を統括する「家令」を務めている。
他家(王族)に仕えている為、貴族としては「下級」、その爵位は「男爵」だ。 しかし、モータル家は建国以来王族に仕え続けてきた古貴族。デッカにとっては幼少期以来の顔馴染み、気の置けない旧知の間柄であった。その為、少し油断した。ケインなら、まあ、別に――って、今は拙いのか。
「少し待ってくれ」
デッカはケインを牽制した後、超速で机上の資料を片付けた。
しかし、余りに多い。その為、引き出しにしまう訳にもいかなかった。どうしたものか?
デッカはコンマ数秒悩んだ後、資料群を強引に机下に突っ込んだ。
デッカの暴力的な行為によって、机上から資料は完全に消えた。その事実を確認したところで、デッカは再びドアの向こうにいるケインに声を掛けた。「どうぞ」
「失礼します」デッカが許可を出すと、静かに執務室のドアが開かれた。
開いた隙間から、初老の男性が入ってきた。その厳めしい顔は、デッカにとっては良く見知ったものだった。その際、デッカの視界に「男性の額」が映り込んでいた。そこには大人の指、それも三本分は有ろうかというほどのデカい「ティン」が生えていた。
デッカとは比べるべくもない。しかし、一般ティン族が「羨望の眼差し」を向けるほど、黒光りする立派なティンだった。
因みに、一般的なティンの大きさは「指の第一関節」か、或いは「第二関節」ほどである。「指そのもの」と言うほどデカいティンとなると、特別な存在、「貴族」と呼ばれる者しか持っていなかった。
尤も、「指」で例えられる大きさは「下級貴族の平均」だ。市井は兎も角、王城ではよく見かけるティン(或いはティンティン)だった。その為、デッカを含めて、王城内の人間ならば誰も気にも留めなかった。 ところが、ケインを見た瞬間、デッカの秀麗な眉が歪んだ。 おや? まさか「連れ」がいたとは。ケインの左隣に、子どもと錯覚するほど小柄な女性がいた。
その女性、いや、少女は「ティン王家に仕える侍女の制服(メイド服)」を着用していた。「王城に勤める侍女」となれば、デッカの顔見知りである可能性は高い。 しかし、「何者か?」と確認しようにも、少女の顔は「自棄に長い前髪」に隠されていた。それを見て、即応で「お前か」と断定することは難しい。 しかし、デッカには思い当たる節が有った。あの長い前髪、どこかで見たような?
デッカは記憶の糸を手繰った。その先に、「目の前の少女」と重なる侍女の姿が有った。
ところが、「そこに手が届く」と思われた瞬間、重低音の声が上がった。「殿下に、お詫びしたいことが御座います」
ケインは、その場で跪き、両手を床に着いて――平伏した。すると、隣の侍女までもが、ケインに倣って平伏していた。
二人の行為に意味は、きっと有るのだろう。しかし、デッカにとっては全く意味不明なものだった。え? 何この状況。
デッカは首を傾げた。彼としても、二人の行為の意味を理解したかった。しかし、それ以上に「現況」が気になって仕方なかった。
中年男性と、歳の頃十代の少女が、執務室の出入り口で平伏している。部屋の主として、「このような現場を衆目に晒すこと」は、全力で避けたかった。その想いが、デッカの端正な口を衝いて出た。
「兎に角、中に入ってくれ」
デッカの要求に、ケイン達は即応した。
二人は直ぐ様立ち上がった。ケインが執務室のドアを閉めた。それがシッカリ閉まったことを確認した後、二人揃って部屋の真ん中まで移動して――、「申し訳ありませんでした」
ケインが声を上げた。その直後、再び二人揃って平伏した。
すると、二人の様子を見詰めていたデッカの口が「一」から「へ」の字に歪んだ。一体、「何だ」と言うのだ?
デッカの首は盛大に傾いだ。相手の意図が分からなければ対応のしようもない。だからと言って、訳も分からず平伏され続けることは、デッカにとって迷惑以外の何ものでもなかった。
こちらから、埒を開けるしかないか。
デッカは心中で溜息を洩らしながら、平伏し続けている二人に向かって声を掛けた。
「どういうこと、なのかな?」
デッカは状況の説明を求めた。それに応じたのはケインだった。彼は平伏したまま声を上げた。
「この者、我が娘『リィン』が、殿下に『トンデモない無礼』を働いたのです」
リィン。その名前はデッカの記憶に有った。その事実を直感した瞬間、ケインの左隣で平伏する少女の正体をハッキリ理解した。
数日――一昨日だったか? 俺の世話係班に配属された新しい子(侍女)だった。
灯台下暗し。余りに至近の記憶であったが故に見落としていた。
俺も、未だまだだな。
デッカの顔に苦笑が浮かんだ。しかし、笑っていられたのは、再びケインが声を上げるまでの僅かな間だった。
「こやつ、殿下の寝所で、有ろうことか『殿下の枕に顔を埋めて』――」
「!?」ケインから「リィンの所業」を聞いた瞬間、デッカの顔から表情が消えた。
もしかして、この子、俺のことが――好き?
枕に顔を埋める。相手が異性となれば、デッカでなくとも「思慕の情」を想像する。それが「当り」と思えるような言葉が、ケインの口から飛び出した。
「自分の『ティンティンを弄って』おったのですっ!!」
「!」ティンティンを弄る。誤解のないよう適切な言葉に置き換えると、「角を弄る」となる。それは幼少期のティン族に有りがちな悪癖だった。
自分の額に角が生えていたならば、誰だって触りたくもなるだろう。弄りたくもなるもなるだろう。そんなことで一々目くじらを立てていたら、周りから「短気な人」だと思われるだろう。
しかし、「子どもの悪癖」と言えども、場合によっては許されざることも有る。 リィンの行為は、デッカが表情を無くすほどの大罪だった。「この件、他に知っている人はいるのかな?」
「いえ、発見者は私ですし、この子も今回が初めてだったようで」 「そう――か」リィンの所業を知っている者は、この場にいる三人だけ。その事実は「幸運」と言えた。しかし、「次も大丈夫」とは、誰も保証できなかった。
「これからは、しないで欲しい」
デッカはリィンを諫めた。すると、リィンの頭が更に下がって――「ゴン」と、強かに頭を打った。その痛々しい音が上がった直後、初めてリィンの声が上がった。
「申し訳、ありません」
リィンはデッカに謝罪した。その直後、さめざめと泣き出した。
ああ、面倒なことになった。
執務室の中に少女の鳴き声が響き渡った。デッカはリィンの声を掛けるべきかどうか考えていた。その最中、
「えぐぅ、ぐすぅ――……」
唐突にリィンの鳴き声がピタリと止んだ。その行為は、デッカにとっては意外なものだった。
何だ、俺が何もしなくても泣き止んでくれるのか。
デッカの顔に苦笑が浮かんだ。しかし、それは直後に凍り付いた。
それまで平伏していたリィンが、突然上半身を起こしたのだ。「?」
デッカは反射的にリィンをジッと見詰めた。すると、リィンは右手を掲げて、
「実は――」
長い前髪を両手で掻き上げた。すると、あどけなさの残る可愛らしい顔が現れた。それを見た誰もが「前髪で隠すなんて勿体ない」と思っただろう。デッカも、「これからは髪を上げていれば良いのに」と思った。
しかし、リィンには前髪を伸ばす必要が有った。彼女には「隠さねばならないもの」が有った。それは、彼女の「蟀谷」を見れば直感できた。
そこには「有るべきもの」が無かった。普通の人間と全く同じだった。そう、リィンは「ティンティンが生えていなかった」のだ。その事実は、デッカに強い衝撃を与えた。
この子はティン族ではないのか?
ティン族にはティンが生えている。生えていなければティン族ではなかった。その事実を鑑みると、デッカの想像は的を射ているように思える。
しかし、「ハズレ」だった。その事実が、リィン本人の口から告げられた。「私のティンティン、凄く『小さい』んです」
よく見ると、蟀谷の上がホンノリ赤くなっていた。しかし、それを「ティン」と呼ぶのには、抵抗が有り過ぎた。
「だから、その、殿下に肖りたくて、つい――」
リィンと同じ想いを抱く者は、ティン族には存外に多い。「デッカを除く全員」と言っても過言ではない。
しかし、リィンのやり方が拙かった。拙過ぎた。デッカが表情を無くすほどに。それに止まらず、「王国の滅亡」を想像させるほどに。最悪の可能性を想像した者は、デッカだけではなかった。「『つい』で済むことかっ!!」
「「!?」」執務室にケインの怒声が響き渡った。その瞬間、リィンとデッカの体が大きく震えた。
ケインは怒り心頭していた。その火勢は凄まじく、辺り一面を焼き尽くすまで収まりそうもなかった。「お前と言う奴は、自分の我が儘の為に、大恩有る殿下に御迷惑を掛けるなどっ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」 「そも、殿下には『リザベル様』という許嫁がいるのだぞっ!!」 「「!!!」」リザベル。その名前がケイン口から出た瞬間、リィンとデッカの体が大きく跳ねた。
リザベル・ティムル。彼女は辺境伯アズル・ティムルの長女にして、デッカの「許嫁」だった。
辺境伯令嬢となれば、確かに「やんごとないお家柄」だ。しかし、それら全ての特徴は、どれも「王国の滅亡」を想像させる理由ではなかった。 問題は、リザベル本人。その理由、或いは「象徴」と言うべきものが、彼女の両蟀谷から生えていた。リザベルのティンもまた、とてもデカかった。デッカと並んでも遜色が無いほど。
デッカのティンが「史上最大」ならば、リザベルのティンティンもまた「史上最大」だった。史上最大のティンを持つ者の許嫁にして、史上最大のティンティンを持つ者。ティンを持つ者、ティン族にとって、二人が「特別な存在」であることは想像に易いだろう。
そんな二人の仲を拗らせるような出来事が起こればどうなるか? それがどんなものかと想像するだけで、ティン族のティン(或いはティンティン)は恐怖で縮こまった。その中に、デッカも含まれていた。このことが「リザ(リザベルの愛称)」の耳に入ったら拙い。
リザベルは、父親アズルから「辺境伯の娘として誰よりも強くあるように」と厳しく育てられていた。その為、プライドが高い。恥に敏感で、負けず嫌い。許嫁という立場にも強い拘りを持っている。 デッカに近付く女性がいれば、それに張り合おうとする面倒な性質を持ち合わせていた。
有体に言えば、「嫉妬深い」。その性質に関しては、デッカも隠れて涙するほど思い知らされていた。
まあ、「泣く」だけで済むならマシか。
今回の一件がリザベル耳に入れば、面倒臭いことになることは確実。その可能性を想像すると、デッカの喉下まで「津波の如き巨大溜息」が押し寄せた。
本当に、どうしたら良いんだろう?
デッカは目を閉じた。気持ちを落ち着けて、喉下まで押し寄せた巨大溜息を押し戻した。それが完全に胃の中に納まったところで、今回の打開策に付いて考えた。
リザのことも問題だが、リィンのティンティンもそのままにはしておけんか。
ティンを持つティン族にとって、ティンの大きさには拘りが有った。拘り過ぎて拗らせていた。まして、貴族の身であれば、居場所を無くす可能性も有った。
「ティンティン――」
小さいティンティンを大きくする。それができたならば、リィンは救われるだろう。
デッカは右手を掲げて、その指先を見た。「そこ」にはリィンを救う手段が有った。その事実を、デッカは直感していた。
しかし、少なからず躊躇いも覚えていた。うむむ、「これ」を実行すると、絶対面倒なことになる。
デッカの喉下に「雪崩の如き巨大溜息」が押し寄せた。それを、デッカは必死に飲み込んだ。それが胃の中に納まって、胃液で消化し切ったところで――デッカは目を開けた。
「俺が――何とかする」
「「!?」」デッカの声に、ケインとリィンが反応した。そのまま無言で、ジッとデッカを見詰めた。その視線を浴びて、デッカが動いた。
デッカは、リィンの眼前まで近付いて、その場にしゃがみ込んだ。
「君のティンティン」
「はい……」 「俺がどうにかする」 「お願い、します」 「俺は今から――」後に続いたデッカの言葉。それを告げた瞬間、リィンだけでなく、ケインまでもが驚いて目を剥いた。
「君のティンティンに触れる」
「「!!!」」 「君のティンティンに、直に俺の『ティン力(ティン・ポウ)』を注げば――」ティン力。それはティンに宿った摩訶不思議な力。マサクーンの創造神から与えられた、所謂「超能力」だった。
ティン力は念じるだけで発動する。しかし、その力はティンの大きさに比例した。
ティン小さき者にできることは少ない。しかしながら、デッカほどのデカいティンであれば、神の奇跡を期待できた。因みに、「力」を「ポウ」と発音する由来は、「力を表す『パワー』という言葉が訛ったもの」と言われている。
神に届くデッカのティン力。それを、デッカは使う気満々だった。リィンを救う自信も有った。ところが、
「いけませんっ、それだけはっ」
「リザベル様に怒られてしまいますっ!!」モータル親子は全力で拒否した。
モータル親子の反応は、他国人には理解し難い。「ティンティンくらいらで大袈裟な、触らせてやれば良いではないか?」と、誰もが思う。
しかし、ティン族であれば、誰もが「それは確かに駄目だ」と全力で頷いた。ティン族間では始祖の代から「ティンに触れることは主従関係を結ぶことと同義」と内外で喧伝していた。その思い込みが因習となり、月日の経過と共に拗れに拗れ、現在では本当に「主従関係を結ぶ儀式」として定着していた。相手が異性となると、「婚姻関係を結ぶ儀式」と解釈された。
デッカがリィンのティンティンに触れたなら、二人は婚姻関係を結んだとみなされる。それは、「現婚約者に対する裏切り」と受け取られても仕方がない。少なくとも、嫉妬深い辺境伯の娘の逆鱗に触れるのは「必定」と言わざるを得ない。
デッカとて、面倒事になる可能性を「有り得る」と直感していた。その為、許嫁に対する「言い訳」を用意した。「『素手』ではない」
「「えっ?」」 「手袋を嵌める」 「「それは――」」 「だから、赦せ」 「「…………」」 「『直に触っていない』から儀式は無効だ」デッカの言い訳は、薄氷の如き危うい「屁理屈」だった。それを聞いたモータル親子の顔から表情が消えた。
本当に良いのだろうか?
モータル親子の背中に冷汗が滴った。親子共々「止めるべき」と直感していた。しかし、彼らが見詰める先では、既にデッカが両手に白い手袋を嵌めていた。
殿下にお任せするしか――ない。
モータル親子も覚悟を決めた。
その直後、デッカの両手がリィンの蟀谷に伸びた。その指先が、リィンの「赤らんだ箇所」に触れた。その瞬間、「!」
リィンは息を飲んだ。その反応はデッカにも伝わっていた。しかし、
「ティン力を注ぐぞ」
デッカは無視した。そのまま両手の人差し指と親指を使って、リィンのティンティンを強引に摘まんだ。
その瞬間、リィンの体がビクリと震えた。殿下――デッカ様の指から、何か、何か熱いものが伝わってくる!?
電撃のように峻烈な、それでいて、皮膚が蕩けるような甘美な刺激だった。それが、デッカの指先からリィンのティンティンに染み込んでいく。
デッカが与えた刺激はリィンの全身に広がって、彼女の心と体を痺れ、蕩けさせていた。「ふっ……くっ……ううっ」
リィンにとって初めての経験だった。抗い難い刺激だった。幾ら堪えようとしても、口から声が漏れた。それでも、最後まで耐えきるつもりだった。ところが、
「あああっ!!」
できなかった。耐えられなかった。
一般ティン族にとって、デッカのティン力は余りに強力、余りにデカかった。「私のティンティンが、どうにかなっちゃうっ!!」
リィンの大声は、執務室を突き抜けて荘厳な白亜の王城中に響き渡っていた。
果たして、リィンのティンティンはどうなってしまったのか? リザベルのことはどうするのか? そもそも、リザベルはいつ出てくるのか?
次回、「第二話 私のティンティンがデカくなってる」
良かったね。
※拙作をお読み下さり感謝いたします。
宜しければ評価、感想などを頂けますと有難く思います。 今後とも宜しくお願い致します。王都オーティン。中心に白亜の王城を頂くティン王国最古にして最大の都市。 王城の荘厳さは言うに及ばず、城下町もまた、王城に比すほど荘厳にして美麗だった。その為、他の領土の人々からは「白い美術品」と呼ばれている。 王都城下町の地面は、王城の敷地と同じくピタラ石製の白い石畳が広がっていた。どこぞの大学と違い、市民達が毎年補修、掃除、点検を行っている。その為、「表通り」は白さを保ち続けていた。 その白い石畳の上に、白い家屋群が整然と立ち並んでいた。 王都城下町の建物は、殆どが白い石(ピタラ石)と白い木材(モリッコロ原産の針葉樹、『ゲッパク』)を組み合わせたハーフティンバー式。それら白い二階建て、或いは三階建ての建物が、背中合わせの二列縦隊で街路沿いに軒を連ねていた。 建物群に挟まれた街路は、その殆どが同じ幅になっていた。それもまた、城下町の美観を高める要因だった。 しかし、唯一本、他より遥かに太く、大きな街路が有った。 内壁の城門と、外壁の城門を貫く大道、王都メインストリート。通称「オーティン通り」。 王都を人間の体と例えるならば、オーティン通りは「大動脈(或いは大静脈)」になるだろう。 毎日市民(都民)達が集まり、商売、食事、談笑、散歩――と、様々な活動が行われる「王都で最も活気の有る場所」だった。その賑わい、盛況振りは、遠目からでもハッキリ確認することができた。 ティン王国第一王子、デッカ・ティンは「内壁城門前」にいた。そこから正面に伸びる大道、オーティン通りの様子を眺めていた。 ああ、王都の城下町は、こんなにも素敵な場所だったのか。 大河の如き大道が人々の活気で溢れている。その様子を見るほどに、デッカの胸にポカポカと春の陽射しのような暖かな気持ちが広がっていた。そんな彼の姿を、首を傾げながら見詰める者が四人ほどいた。 城門前を守る衛兵達だ。「何だ、あれ?」 「変な格好だな」 「痛い奴だ」 「目を合わせるな。かかわるな」 衛兵達は、デッカのことを悪し様に言い合っていた。不敬罪に問われかねない無礼だった。 しかし、デッカを含めて、現況で衛兵達を咎める者はいなかった。そもそも、彼らが見詰めている男性(デッカ)は、王子様には見えなかった。 デッカは「市井の衣装」を身にまとっていた。その姿を見れば、「首から下」は市井の民そ
ティン王国国王領。現国王ムケイが直接治める、所謂「直轄地」。王国領領内最奥に位置する最も安全な場所にして、南方領(シムズ・ティルト侯爵領)に次ぐ資源の宝庫だった。 当然のように人が集まり、その人口は全王国領中「不動の第一位」を誇っている。 しかし、不思議なことに税収は下落傾向にあった。それも、ここ数年に限っての話だ。その事実は、王城の税務課の資料に記載されている。由々しき事態だ。 しかし、王城の会議に於いて、その話題が出た例は無い。そもそも、税務課の職員達も、大臣達も、国王ムケイですら、その事実を問題視していなかった。 何故なのか? その謎を解明すべく、デッカは今日も執務室に籠っていた。 デッカの執務室は王城の最奥に有った。そこまで続く石の回廊は、洞窟と錯覚するほど暗く冷たい。 しかし、執務室のドアを開けた先は「眩い光の世界」だった。その奇跡の光景の理由は、ティン力でもなければ魔法でもなかった。 ティン王国の王城には、それは大きな「中庭」が有った。 デッカの執務室は、中庭の際に位置していた。その為、中庭側に設置された窓が陽光を招き入れ、室内を宝物庫のように輝かせていた。 本を読むには十二分の光量が確保できた。その恩恵を存分に生かして、デッカは執務机に乗せた資料を読み漁っていた。 今日も一人で飽きもせず、よくやる。 尤も、デッカには「単独で調査しなければならない理由」が有った。その制約も有って、それなりに手間や労力が必要だった。 しかしながら、調査を始めてから既に一週間ほど経っている。デッカの立場(王国第一王子)や能力(史上最大のティン)を鑑みると、いい加減手掛かりを得ても良い頃だろう。ところが、「何――だろうな?」 情けないことに、デッカには全く皆目見当も付かない状態だった。 そもそも、王都税務課から借りた資料そのものが「謎」なのだ。謎を漁っても、中から出てくるものは「謎」以外無い。 読めば読むほど、考えれば感がるほど謎は深まるばかり。デッカの脳内には「徒労」の二文字が閃いていた。「何――だろうな?」 デッカの口から、再び益体の無い愚痴が零れた。只の独り言だった。応える者などいないはずだった。ところが、「何――なのでしょう?」 デッカの独り言に「重低音の声」が応えた。 デッカのそれとは全く違う声。実際
ティン王国第一王子、デッカ・ティン。そして、王国西南端最前線を守護するアズル辺境伯の長女、リザベル・ティムル。 二人が出会ったのは、現在を遡ること十年ほど前のこと。 当時、二人は六歳。それぞれ健勝なのだから、出会う可能性は有るには有った。 しかしながら、彼我の生家は余りに遠い。膝栗毛(徒歩)など論外、馬車を使うにしても無茶が過ぎる。 何の用事が有って、こんな無茶を通したのか? 有体に言えば、「我が子のティンを誇示したい親の自己満足、或いは虚栄心を満たす為」だった。 そもそも、両家の当主達はデッカ達が0歳の頃から、二人を出会わせたくて仕方が無かったのだ。それを六年も待ったのだから、「よく我慢したね」と褒めて貰いたい。と、本人達は思っている。 六年.「諦めても良い」と思えるほどの長期間。それを耐え続けていた理由は、我が子の頭に生えた「余りにデカいティン」だった。 史上最大、空前絶後、「母体を突き破らなかったことが奇跡」と思えるほどデカいティン(ティンティン)。 ティン族ならば、羨ましがらずにはいられなかった。誇らずにはいられなかった。語らずにはいられなかった。例え王侯貴族であっても、狂喜乱舞せずにはいられなかった。 デッカの父ムケイも、リザベルの父アズルも、「世界中に知れ渡れ」とばかりに喧伝した。両家の領民達も、領主に倣って喧伝しまくった。 騒ぐ者が増えれば、必然的に声も大きくなる。 デッカとリザベルの話は、それぞれの領内に止まらず、領外へと拡大していった。 そもそも、ティンに拘るティン族が無視できる話ではなかった。王国中に広まるのに、それほど多くの時間を要しなかった。 当然、両家の親達の耳にも入った。 このときから、両家の親達の心には「全く同じ想い」がはち切れんばかりに膨れ上がっていた。「どちらのティンの方がデカいのか?」 我が子が最大なのか? それとも、あちらの子の方が大きいのか? 気になって仕方が無かった。その目で確かめずにはいられなかった。 ムケイも、アズルも、それぞれの親族も、領民も、ティン王国の全国民、全ティン族が、デッカとリザベルの出会いを希求した。 しかし、実際に二人が出会えたのは「六年後」なのだ。そこまで時間を費やさなければならない、或いは待たなければならない理由が「当時」には有った。 当時、
王立オーティン大学食堂カフェテラス。そこには生粋の王都民しか知らない「伝説」が有った。「カフェテラスで告白し、それを受けて貰えたならば、二人は結婚し、幸せな余生を過ごすことができる」 一体、誰が言い出したことか。残念ながら、その曰くを知る者はいない。説明できない以上、信ぴょう性は皆無。その伝説を他の領土(或いは都市)から来た者に話すと、首を傾げられたり、眉に唾を付けられたりした。 しかし、生粋の王都民にはメジャーな伝説だった。それを信じ、肖ろうとする者は存外に多い。 ティン王国第一王子デッカ・ティンも、その内の一人だった。 麗らかな春の日差しに照らされた野外昼食場(カフェテラス)のど真ん中でデッカは「愛の言葉」を告げた。「俺のティンを握ってくれ」 爽やかにして優しげな美声だった。それが届いた者の耳に、真綿が水を吸い込むようにスルリと染み込んだ。 史上最大のティンを持つ男の愛の言葉。例え対象が自分でなくとも、それを聞いた全ての者の心臓が「トゥンク」と音を立てて跳ねた。 その中で、一際デカい弾音――いや、火山の噴火を彷彿とするほどの「爆音」が、デッカの至近から響き渡った。 その直後、爆音の発信源から、より以上にデカい叫び声が上がった。「ななななな――何を、何お仰っておられるのですかっ!?」 デカい声だった。それを聞いた者に伝説の魔獣「ドラゴン」を想像させた。 しかし、爆音の発信源は、子どもと錯覚するほど小さな少女だった。 その少女、リザベル・ティムルは、咆哮を上げながら立ち上がった。その様子は、カフェテラスにいた全ての者に視界に映っていた。「リザベル様が立った、お立ちになられたっ!!」 「これから何が始まるの?」 「戦争――いや、この国の滅亡かっ!?」 カフェテラスにいる者の中で、正確に状況を把握している者は、当事者達を含めて一人もいなかった。 それでも、「絶望的な窮地に立っている」という最悪な現実だけは、全ての者、その本能が理解していた。 リザベルの反応次第で、全員の命が消えて無くなる。 学生達は死の恐怖に怯えながら「リザベル」という名の破壊神を見詰めていた。彼らの視線には、「助けて」と悲痛な想いが籠っていた。それを浴びたリザベルは、頭部に生えた「女性の腕ほどもあるティンティン」を振り上げて――「ごほん」
王立オーティン大学の学生食堂カフェテラス。その場所を知っている者にとって、「あそこ」、或いは「カフェ」で通じるだろう。 しかし、行ったことの無い者、初耳の者が聞いたならば、「どこだよ?」と首を捻るのも致し方無し、宜なるかな。 オーティン大学が有る場所「王都」、及び王都を要する「王領」の位置を確認したい。 先ず、王領の位置に付いて。 王領は、アゲパン大陸北東端に聳える峻険な山脈「ピタラ」麓に幅広く展開していた。 次に、王都。 王都オーティンは、王領北東端、ティン王国最奥に位置している。そこは「国王の在所」と言うことで、大量の資金、資材を投入して、最高の景観と最強の防衛機構を誇っている。 都市の地面は白い石畳、ピタラ山脈にある「ピタラ石」と呼ばれる白い石を四角く切り出し、それをたを隙間なく、定規で測ったかのように敷き詰められていた。 都市を囲む城壁もまた、雪山のように白く、高く、分厚い。それを見た者に「ピタラの一部」と錯覚させた。そのような高壁が、王都最全体と、王城の敷地の周りを二重に囲んでいる。 因みに、王都民達は最外縁の城壁を「外壁」、王城の敷地を囲む内側の城壁を「内壁」と呼称している。 外壁から内壁までの間が、所謂「城下町」。「王立オーティン大学が何処に有るか」と言うと、実は内壁の中、王城の敷地内に立っていた。 王立オーティン大学。その外観は、ゴシック調でありながら「地球の学校」を彷彿とする四角四面の長方形型。その色も真っ白――だったものが、今は汚れて灰色になっている。 そもそも、オーティン大学の歴史は古く、王国の教育機関では「最古」だった。 大学を建てた(建てるよう命じた)者が、建国の王オーティン・ティンなのだ。その所以も有って、ティン王国では「随一の権威」を誇る教育機関となっていた。 王国内で学問を志すならば、「第一志望」から絶対外せないだろう。正に「名門中の名門」。ここに入れたならば将来安泰。一家の繁栄は約束されたも同然だった。 だからこそ、王領内は元より態々他の領土から受験する者は存外に多い。その内訳は、貴族八割、一般二割。王族となれば立場上在籍必須だった。 王国第一王子(下に弟が一人)、デッカ・ティンの名前も学生名簿に書き込まれていた。 デッカが大学構内を一人で歩き回っていたとしても、誰も不思議に
ティン王国王城内にいるデッカ・ティンが、彼の許嫁リザベル・ティムルへの対応に頭を抱えていた頃、当のリザベルはと言うと、とある場所の豪華な「個室」に置かれたベッドに俯せで横たわって――「ああああああああああああっ、デッカ様っ」 枕に顔を埋めながら叫んでいた。その声がデッカの耳に届くことは無かった。しかし、二人の距離は存外に近かった。 リザベル・ティムル。彼女は、「辺境の雄」の異名を持つアズル・ティムル辺境伯の娘、二人姉妹の長女である。 リザベルの生家、アズル領は王国領西南端、モリッコロの際、隣国との国境沿いに位置していた。 デッカがいる王都までの距離は、他の領土と比べるべくもなく遠い。最長だ。 リザベルが「王都に行きましょう」と思い立ったとしても、軽々に行き来できる距離ではない。早馬を走らせて十日、天候によっては二週間ほど掛かった。彼我の生家は余りに遠い。 しかし、今やそれも過去の話。リザベルがその気になれば、デッカにかかわる情報は、「その日の内」に彼女の耳に入れることができた。 何故ならば、リザベルは今、王都に住んでいるからだ。 今春、リザベルは王領の教育機関、「王立オーティン大学」に入学した。そこに通う為、彼女は「大学女子学生寮」に住んだ。 女子寮は、嘗ての辺境伯屋敷と比肩するほど大きかった。ティンティンの色に因んで、赤褐色のレンガと、モリッコロに群生する「リョウタロ」という赤みを帯びた杉を使った、赤いハーフティンバー式の巨建造物だ。 尤も、学生が占有できる場所は、建物内の一室に過ぎない。「その点」に関しては、辺境伯令嬢と言えども例外ではなかった。 今のリザベルは「オーティン大学一年生」であった。大学に入る年齢となると、地球に於いては「十八歳以上」と言うのが一般的だろう。 しかし、惑星マサクーンに於いては「満十六歳から」というのが一般的だった。 リザベル・ティムルは未だ十五歳。同い年のデッカも、実はまだ十五歳だった。 十五歳。「子ども」と言っていい年齢だ。しかし、二人とも、他人から「年齢通り」に見られた試しは殆ど無かった。 二人は、やんごとない立場にいる人間だ。その為、人前では「傲慢」に思えるほど堂々と振舞う必要が有った。その為、二人とも二十代くらいに見られがちだった。 それでも、二人は未だ十五歳。落ち着き払っている